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神田沙也加さんと 母親の松田聖子さんは絶縁状態だったと言う噂がありますが、その内容は一体どんな内容なのでしょうか?
噂によるとテレビ等で共演しても上部だけの関係で、2011年のNHK紅白歌合戦で共演した際には松田聖子さんが涙を流したシーンが印象的でしたが、実は嘘泣きだったと言う噂もありスタッフはドン引きだったとか…
神田沙也加さんと 松田聖子さんの間にはどのような溝ができており、なぜ絶縁状態だったのでしょうか?
神田沙也加さんの幼少期や学生時代、さらに 松田聖子さんの事務所を辞めた理由がやばかったのでまとめてみました。
目次
神田沙也加の複雑な幼少期

神田沙也加さんと 松田聖子さんは幼少期から難しい関係にあったそうです。
神田沙也加さんは 幼少期から松田聖子の娘として「生まれる前からスーパータレント」と好奇の目で見られており、とても複雑な環境で育ちました。
松田聖子さんの男性関係もかなりド派手でしたし、 仕事で家を空けることも多く寂しい思いもたくさんしたのでしょうね。
神田沙也加さんは パパラッチから逃れるため勉強させられていたり、林間学校には松田聖子さんのマネージャーが同行していたり、運動会では学校側が警備員を配置していたりとその時点で普通ではないですよね…
さらに、その運動会の様子が翌日ワイドショーで放送されたりプライベートが全く子供の頃から無かったとのこと。
かなり複雑な思いで幼少期を送っていたようです。
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神田沙也加の 祖母が母親代わりだった

神田沙也加さんは 祖母が母親代わりだったと言うのは有名な話です。
松田聖子さんは当時人気絶頂のアイドルで、さらに父親の神田正輝さんも仕事で忙しくしており 両親が仕事で家を空けることがほとんどだったようです。
なので、神田沙也加さんの面倒を見ていたのは 神田正輝さんの母である祖母の旭輝子(あさひ てるこ) さんでした。
神田沙也加さんは ほぼ祖母の旭 輝子(あさひ てるこ) さん に育てられていたので、母親からの愛情を受けていないと感じることも多かったようです。
松田聖子と神田正輝の離婚

そして複雑な幼少期を過ごしていた神田沙也加さん ですが、両親の神田正輝さん 松田聖子さんは1997年神田沙也加さんが 10歳の時に離婚してしまいます。
親権は母親の松田聖子さんが持つ事になりましたが、仕事は忙しく 結局神田沙也加さん の面倒を見ていたのは 祖母の旭輝子(あさひ てるこ) さん。
この頃から神田沙也加さんは 母親の松田聖子さんに対して不信感持っていたのかもしれません。
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母松田聖子の 不倫や2度目の結婚
神田正輝さん 松田聖子さん 離婚の理由は松田聖子さんの不倫と言われています。
近藤真彦や 英語教師やバックダンサーなどなど、数々の不倫がスクープされており

やはりこんなビックアイドルだと相当おモテになったようですがこのような経緯を見るとやはり母親としての自覚がちょっと欠けているよう感じてしまいますね。
その後 松田聖子さんは仕事のためアメリカに拠点を移すことになり、突然神田沙也加さんは 渡米をするか選択を迫られます。
さらに松田聖子さんは同じ時期に歯科医の波多野浩之さんと 2度目の結婚を予定されており、 1998年にわずか交際2ヶ月で再婚をされています。

神田沙也加さんは 大好きなお父さんと離れ離れになり、その大好きなお父さんと母親の松田聖子さんが離婚した理由は母親の不倫であり、
さらによく知らない人と 急に母親が再婚して、アメリカと言う新しい土地で生きていくと言う選択を 中学校に入学する直前に迫られたのです。
これが本当なら普通に受け止められませんよね…
波瀾万丈な中学時代

神田沙也加さんは 結局日本に残ることにし、全寮制の中学校に入学しましたが、壮絶ないじめに遭っていたと噂があります。
様々な要因でいじめに遭ってしまった様ですね。
いじめがひどすぎたことにより、結局松田聖子さんのもとに行くことに、 アメリカの生活を送ることにしましたが、やはりアメリカでも松田聖子さんは仕事で家を空けることが多く、
赤の他人の父親と過ごす生活を送ることになりました。
その生活に嫌気が差し日本に帰国。その後千代田女学院中学校に転入し無事卒業します。
中学校の時点でもかなり波瀾万丈ですよね。
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神田沙也加のデビュー

神田沙也加さんは 1999年に芸能活動を開始されています。2002年の5月高校1年生の時に「ever since」 歌手デビューを果たしています。
当時松田聖子さんは神田沙也加さんの 芸能界入りを反対していましたが、 いざデビューするとなると「 やるとなったら、私が守って行かなくては」と 母親の顔を見せていたようです。
それにより神田沙也加さんが やりたいことにも反対することもあったようですね。
神田沙也加の不倫

神田沙也加さん松田聖子さんの絶縁のきっかけは、2004年に一回り年上のミュージシャンの北野正人さんと神田沙也加さんが交際したことがきっかけだったようです。
神田沙也加さんは北野正人さんと不倫関係 だったようで、北野正人さんは その後その時の妻と離婚しています。
そして神田沙也加さんは北野正人さんと結婚すると言い出し婚姻届も用意していたようです。
それに猛反対した松田聖子さんと神田沙也加さんは 大喧嘩になり、窓ガラスが割れるほどの大騒ぎになり警察も出動したそうです。
神田沙也加さん からすれば、今まで松田聖子さんは好き勝手やっているのになぜ私だけ?と思うところがあったようです。
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松田聖子は 紅白でウソ泣きしていた?
松田聖子 神田沙也加さんと共演の思い出深い「紅白出場」はどうなる#NEWSポストセブン #芸能記事 #紅白歌合戦2021
「聖子さんにとって紅白は娘との思い出が詰まった大切な場所。
それだけに出場の判断はとても難しいものになるはずです」https://t.co/Hw4AgrGQGt pic.twitter.com/ctdwLXfKiy
— NEWSポストセブン (@news_postseven) December 19, 2021
2011年4月には親子でバラエティー番組に出演し、同年12月には紅白歌合戦 共演も果たされていました。
「上を向いて歩こう」をデュエットしていました。
歌えをやった後に松田聖子さんが涙を流していましたが、
神田沙也加さん によると「ママはウソ泣きしていた」とのこと。
神田沙也加さんと 松田聖子さんはお互いに気を使い腫れ物を扱うようなぎくしゃくした関係が続いており、 紅白で松田聖子さんが泣いたのを見て多くのスタッフも呆れ返っていたようです。
2014年の紅白歌合戦では「アナと雪の女王」を神田沙也加さんが披露していましたが、その時も松田聖子さんは映像を見ながら涙を流していました。
これもウソ泣きではないかと噂されているようです。
松田聖子は娘神田沙也加を ライバル視していた?

芸能プロ関係者によると、
松田聖子さんは神田沙也加さんに対して「ライバル視していた」とのこと。
レコード会社から神田沙也加さんに いい曲が提供されると、「自分の方が合う。なぜ先に言ってくれないの」と怒ることもあったようです。
本当なら娘の成功を喜べないなんて…
さらに、神田沙也加さんは ドラマの共演者や年上のギタリストや舞台俳優などの数々の浮き名を流していましたが、
それにやきもちを焼いたのか松田聖子さんは「今そんなことしている場合じゃないでしょ!」と怒りだし、
これまでのことを考えると神田沙也加さんからするとそんなこと松田聖子さんに言われたくないと思うのは当然ですよね?
神田沙也加さんが村田充 さんと結婚する際には結婚式にも出席をせず、「妊活妨害」まで取り沙汰されたそうです。
さらに、神田沙也加さんの 結婚発表の後、音楽関係者が松田聖子を祝福して、「お孫さんもそろそろ…」と言ったところ急にむすっとして不機嫌になったとのこと。
いつまでも自分がアイドルだと思っている松田聖子さんは「おばあちゃん」と呼ばれることが許せなかったようです。
松田聖子さんはいつまでも女でいたかったんでしょうね。
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松田聖子の神田沙也加への異常な結婚への反対

松田聖子さんは神田沙也加さんが 最初に結婚していた村田充さん に対して非常によく思っていなかったようで、「うちの娘にふさわしくない」と思っていたようです。
どうやら年齢が9歳も上で、俳優としての知名度も決して高くなかったので気に入らなかった様です。
さらには、「この男、もしかして私の財産目当て?」と疑心暗鬼になっていたとか…
結婚を機に神田沙也加さんは 所属事務所「 ファンティック」から独立されていますが、これも母親の松田聖子さんの差し金では?と言われているようです。
なぜなら、ファンテックは松田聖子さんの著作権会社になり、 そこに神田沙也加さんが 結婚後も所属していると、夫の村田充さんに 自分の稼いだお金が流れる可能性を考えいち早く言ったのでは?と言われているようです。
この話を聞いただけで神田沙也加さんの 結婚生活はかなり肩身が狭かったでしょうね。
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まとめ
神田沙也加さんと 母親の松田聖子さんは絶縁状態だった 理由をまとめてみました。
幼少期からまとめてみると、これが本当であれば神田沙也加さんが いかに生まれた時から苦労をしていたのかと言うことがよくわかりますよね。
神田沙也加さんのお亡くなりになった理由はこれがきっかけではなかったとしても、神田沙也加さんの 人生は本当に生まれた時から最後まで波瀾万丈だったんですね。
それでも数々の歴史を残した神田沙也加さんは ご立派な人生を歩まれましたね。
神田沙也加さんのご冥福を改めてお祈りいたします。
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